25年が経ちました。

 

私は、仕事で沖縄に長期出張中でした。北谷村は島の北部小さな田舎町でテレビは、NHK 

しか移りませんでした。早朝から壊れたかのように、神戸のたぶん長田の高層ビルの上の

定点カメラからの映像は動く事無く倒れた阪神高速と周りに立ち込める無数の煙の柱を映すだけ

でした。

おかしいと感じるまで、神戸と解るまで暫くかかった記憶が有ります。

それからは、人生は面白いほど急展開をして行きます。

前年12月、沖縄開発本部長に就任した私は、本社に帰って1月末に平社員に降格。4月には会社は震災の影響で倒産、5月に入った会社も不動産関係でしたが、震災不況の影響で1年持たず倒産しました。

 

それからも職を転々としたのは、行く先々、倒産、給料の未払いが有りました。

今思えば働き盛りで、アルバイトしか出来ない自分に自棄を起こしそうですが、当時はもっと大変な状況の人が私の周りにはたくさん居ました。

これ位の事で、辛いとか、不幸と思う事は申し訳なく思えました。

 

翌年、灘区のボランティア団体にお世話になり 神戸助け隊と言う団体を立ち上げました。

その活動が、和讃の会のルーツと言えると思います。

なんとか仕事に就き、何年かで活動も終わり、気が付けば定年退職。

幸いにも私は今でもこうして活動をさせていただいていることは有難い事です。

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神戸市役所に和讃の会の決算書、報告書を提出した後、24階から撮った写真です。

テレビで、忘れてはいけない、風化させてはいけないと言ってますが忘れることは無いでしょう

多くの市民が、人生そのものが変わってしまった震災、変えてしまった震災。

今後も何時起こるかは解りません。備えるとは、忘れない事です。思い続ける事だと思います。

明日を信じてはいけない、終活のヒントはそこに有る気がします

 

浄土真宗本願寺派  専照寺 僧侶 釋 一道