葬儀屋さんと宗教者
2021/01/14
宗教者が信頼されない訳
令和の時代に
先日会員さんの依頼で、神戸の教会に相談に行きました。施設に居る高齢の母が転倒して、少し弱った。昔お世話に成った教会でお葬儀をした方が良いと思うとの事で、本人に代わって相談に行きました。
立場上、胡散臭いのは解るけれど教会の応対は酷かった。知らないの一転張りで調べようともしない。それなのにお葬儀の話に成るといきなり「Aさんの葬儀はここでします、ここでしかしません。」と言い出す。指定の葬儀屋さんがいてその葬儀屋さんしか葬儀は出来ないと言う。それは勝手だが、それならば「こちらの会館でやるので神父さん来ていただけますか?」と言うとここでしかできないと言う。自宅もダメ、葬儀はこの教会で、指定の業者しか入れないと言う。
昔、未だ葬儀屋さんが会館を持たず、寺や、神社、教会、自宅、集会所等で葬儀をやって居た頃、悪しき習慣で葬儀屋から「キャッシュバックをする事で、葬儀屋が仕事を回してもらうと言う事が有った。妙な上下関係が出来た、その悪しき習慣は今も一部残っていて、葬儀会館に宗教者が着くと、葬儀屋は甲斐甲斐しく鞄を持ちにお迎えをする。この習慣は今も残っている。それでも流石に、キャッシュバックは少なくなった。葬儀代がどんどん安くなるのに、宗教者へのキャッシュバックを上乗せすれば当然費用は高くなる、高い葬儀が敬遠される時代に、とびぬけた価格の提示は商品として弱くなる。それと今は殆どの葬儀屋が自社会館を持っているので媚びる必要は無くなった。
昭和の終わりの頃の話である、今は平成も終わり令和の時代、なのにいまだにこんな話が有る、その教会に出入りしている葬儀社は業界では知れていて高額な葬儀代では有名である。当然キャッシュバックが上乗せされるのであろうから高くなる。日本人の宗教離れの原因はそこらへんが大きいと思う。取り合えずお金がかかる。お布施も、祭祀料も訳もなく高い。定価が無い、お気持ちで結構は本当は結構では無い。
解りやすい例で言えば戒名、信士、信女、居士,大姉、院号とあの世での名前に位が有る。位の違いが有っても結構なのだが、それを売買する事に問題が有る。お金で買うのもおかしいが、売るのはもっとおかしい。本来院号は、寺や宗派に貢献の有ったものに与えられる。売り買いされては値打ちが下がる、お父さんが居士なのに、お母さんが信女だったと怒る喪家が有った。お父さんの時とお母さんの時とお布施が違うと怒るお寺さんが有った。それらは故人には関係無く、移ろいの世の現世の人間の問題である。お金は大切だ、しかし人の生き死にでお金を儲けるのは悪い事では無いが、葬儀屋も宗教者も考え直す時期には有る。直葬と言う形のお葬式が当たり前に成ったのは、それを選んだ理由は単に安いからと言うだけではない気がします。
極楽浄土、天国、あの世、実は人間みんな信じています。信じられないのはその周りに居る人達です。