Sさんの旅立ち【お葬儀と身元保証】
2019/07/01
6月14日、予てより肝硬変を患っていたSさんが旅立ちました。
51歳の若さでした。
Sさんとは和讃の会が立ち上がる前からの付き合いで、10年前最愛の息子さんを事故で亡くされ
女性一人で生きて行くのには余りにも大変だったのかも知れません。
私達と出会った時はすでに肝硬変を患っていて
私に葬儀の見積もりを依頼されたのが最初の出会いでした。肢体にも障害が有り、神戸大学病院で
手術の必要が有り、身元保証を始めました。
万が一の時の為と後見契約を結び、あくまで任意後見契約ですからどうするかどうしたいかは
エンディングノートを何回も書き直しました。
一時は不自由な体でリハビリに必死になって居た時期も有りました。歩行器を押しながら
よく買い物に連れて行かれました。カットされたパイナップルが大好きでした。
歩行器も取れ、杖で歩けるようになった時期も有ったのですがお酒は、我々が思うより早く彼女の肝臓を蝕んで居ました。昨年10月、緊急入院、余命1年を宣告されました。
治る見込みは無かったのですが担当の先生は頭が下がる位、一生懸命彼女の為にと、施術をされ
ました。CTスキャンでみた彼女の肝臓は確認できないくらい小さく成って逆に腸ははれ上がり
食道まで膨れて居ました。人間の生命力は本当に凄いと思いました。
退院して杖で1月にはお寺さんに参る事も出来たのですが、5月15日、担当ヘルパーさんから弱って来ていると連絡が有り、駆け付けた時には歩けなく成って居ました。
緊急入院、意識もおぼろげになって来たので担当医の判断により後見監督人の申し立て手続きを始めましたが後見契約が始まるのを待つ事無く、Sさんは旅立ちました。
約一月後、住み慣れた市営住宅に連れ帰り、予算も無かったので自宅に祭壇を組みました。
お寺様が早速駆け付けて下さり、枕経、翌日通夜、葬儀は14日午前中に執り行いました。
参列したのは私と、スタッフ、親しいヘルパーさん二人の小さな式でした。
お骨上げは私とお寺さんの二人だけ。これも生前彼女が望んで居た事です。お寺さんに連れて
帰って貰いそのまま初七日です。
満中陰までお寺さんその後、最愛の息子さんが眠る納骨堂に入ります。
昨日お身内さんに、財産目録等を渡し和讃の会のお役は終わりました。生前彼女が望んでいた事は、大方出来たと思っています。
私達は終活屋を自負しています。しかも仏事を重んじる終活屋です。
ある人が終活は相続が大変と言います。結構財産のない人は多いです。ある人はお葬儀が大変と
言います。身寄りの少ないおひとり様ならご自宅で、この規模のお葬儀で充分ではないでしょうか。
一番大切なのは、人生の最後がどうだったかという事です。
財産が有る人にはやはり相続は大切な問題です。
一人身で揉めるほど財産も無く、又身寄りも無い、夫婦ふたりで子供が無い、そんな方々が自分の最後を想像してみる、結局誰かがやらなければならない問題が有ります。それは個々で違いは有ると思いますが、想像してみて下さい、それが終活です。
有る意味ちょっとわがままに自分のシナリオ通り最後を迎えたSさん、終活に付いて考えさせられ和讃の会の終活の形を作る基本に成った方でした。
心よりご冥福をお祈りします。