お葬儀では泣かない
2021/01/20
一人のお葬儀
見守る人は無く
15年くらい昔の事です、お葬儀の世界に入って暫くは雑用ばかりでした。小さなお葬儀屋さんだったのでお迎えから霊きゅう車の運転に始まり、バスの運転、解剖処置の手伝い、結構忙しく、この業界ではお葬儀以外にもやる事はかなり有ります。
そんな中で、死産児の扱いも新人の葬儀屋さんには重要な仕事に成ります。何故なら扱いはより慎重に、特別な配慮をしなければ成りません。まずお迎えの時の服装、黒のスーツ、黒ネクタイは絶対にダメです。ほかの妊婦さんに影響を与えないように、時に上だけブルーやピンクのポロシャツで行くことも有りました。
お迎えに行くわけですが、棺やストレッチャーマントを持って行くわけにも行きません。スポーツバックか、旅行用のちょっと大きなバックに小さなお棺(ほとんどが市販の棺では大きいので、化粧箱にちょっと加工をした手作りのお棺)を見えないように持って行きます。
基本、12週までの赤ちゃんは医療系廃棄物として処理されます。12週と1日目からは、役所に届けて火葬しなければ成りません。28週以下ならお骨上げは出来ません。
その日は、ほぼ臨月で出産して、不幸にも命に恵まれなかった子供でした。病院の配慮で誰にも会わずお迎えに上がり、ご両親は会社と支払いを含め話は付いて居るとの事だったので、直接ご両親に会う事無く引き取りました。
会社に帰って一人で棺の中に綿花で小さなお布団を作りご安置している時に事務方から連絡が有りました。明日の火葬場には誰も行かないのでそちらで処分して置いてとご両親から連絡が有りました。
気持ちは解ります、楽しみだった子供が不幸にも先に旅立ってそれを見送るご両親の気持ちを考えれば仕方が無い事かと考えます。それは死産児の場合、よく有る事です。私たちは淡々と業務をこなすだけです。しかし、この子は少し違っていて顔も整った男の子で、そして死後10時間以上経っているのに、顔に少し赤みがかかって、まるで寝ている様に見えました。
何が出来るか、考えて生花部から僅かなお花を貰い、それでも小さなお棺はいっぱいに成りました。
こんな子でも旅をするのかしら、賽の河原で上手く鬼に出会う前に、地蔵様に会えるだろうか、そんな事を考えながらコンビニでお菓子を買って、これで暫くは持つだろうと。「そうだ、君に名前を付けてあげよう、若し、道に迷って誰かに会っても僕の名前は○○一郎、そう答えるんだよ。」言いながら棺のふたを閉めた時、周りの景色が全てセピア色に変わり心の中に有った悲しいと言う感情は無くなった気がします。
それ以降、お葬儀で泣いたのは一度だけです。その事は又書きますが、基本お葬儀では泣けなくなりました。かれこれ500近い葬儀に携わったと思いますが、どんな時も客観的に自分を見ている自分が居ます、あの時の経験が影響していると思います。
先日、双子の子供を送りました。妊娠14週と言えば、親指ほどですが人の形には成っています。病院で引き取った後、お母さんとは連絡が取れなく成りました。それぞれの事情は有るのでしょう。唯、忘れてはいけません。賽の河原で嬰児が石を積むのは貴女を思ってです、いずれ地蔵菩薩が錫杖に掴まらせ、袂に入れて極楽に連れて行ってはくれるのでしょう。それで済ますのでは無く思い続けてあげて下さい、詳しい事情は聴きませんでしたが、忘れない事が供養です。
話が横道に逸れましたが、私たちはお葬儀の場では泣かない、感情に左右されない様にそれが葬儀に携わる者の仕事だから。人の臨終に立ち会って一番冷静でなければ成らないのが私達だと思っています。