子供叱るな来た道じゃもの、年寄笑うな行く道じゃもの
2021/04/20
親から子へ
遅掛けの花見
日曜日に花見に行ってきました。神戸は大分に暖かくなりました、染井吉野は散ってもう青葉に成って居ますが、牡丹桜(八重桜)は今が見頃です。街中ではあまり見る事は有りません、山間部に野生しているものが殆どです。花見と言う柄では有りませんがちょっと体調を悪くしていた義母が少し調子が良いとの事で車で丹波清水寺に向かう事にしました。
義母は要支援2です、認知はほとんど見られませんが、運動機能は著しく低下しています。農家に嫁ぎ、やはり無理はしていたのでしょう。田舎の本家の事です、家は大きいのですが、それが災いします。玄関からバリアだらけです。上がり框も子供では厳しい位有ります。箱を積んで階段を作っていますが、家の中の移動も一大事です。手摺もつけて居ますが、構造的に昔の家です、建て替え位を考えないと根本的な解決には成りません。家内は三女で末っ子です。我が家は二人暮らしで介護関係の仕事をして居ると言う事も有って、ちょくちょくお世話をさせて頂いています。
私には少しきつく感じますが親子のやり取りは遠慮は有りません、確かにおむつやパッドを変える事は難しい仕事です。厳しい家内の言葉に義母も遠慮なく返します、それでも最後に義母が折れて従っている姿は少し微笑ましくも有ります。服を着替えていざ出発、車の後席に乗るのに階段は2段設けました。
久しぶりの親子での外出が楽しかったのか車内の会話は弾みます、そこは紛れもない親子の会話です。東条湖を抜け清水寺に着いた頃、あいにくのにわか雨です。境内に入ってすぐの茶店のご厚意により傘を借りました。途中、登坂で車椅子を押すのを私が変わりましたが、やはり少しの遠慮は感じました。根本中堂まで行かず講堂で折り返しました。お礼にと茶店で軽食を頂きました。
娘二人、義母にはまるで子供に接する感じです。
「お茶碗、ちゃんと持ちなさい。」
「お箸の持ち方が変に成ってる」
「お汁で服が汚れてる」
言い方はきついですが顔は笑って居ます、言われた義母も笑って居ます。その笑顔は人生の先輩に失礼かもですが、とても可愛らしい顔に成っています。義母に合わせて30分ほどかけて食べたおうどんは、本当に暖かく感じました。人は生まれて親に育てられ、やがて巣立って自身も親に成ります。そして子育ての中に自然と親の存在を感じる事に成るのでしょう。そこでどう接するか、送り事です。親から子へ、子から孫へ。年を取ると言う事は返ると言う事かも知れません。支えてくれる人が居ると言う事はそれだけで幸せです。介護の現場も、施設は大きな家族でそこに入ると言う事は安心して子供に返れるという事です。介護認定が重くなるという事はそれだけ幼くなって行くと言う事なのでしょう。そういった意味で子供が安心して暮らせる、そんな風に成ればなと感じました。