夢は枯野を
2024/01/29
施設入居を夢見て
おつかれさまでした
29日午前5時22分、須磨区でお世話をしていたSさんが、病院で旅立たれました。92歳でした。あんすこのケアマネさんから身元保証を予て金銭管理もして欲しいと連絡を受け、お会いしたのはちょうど1年前でした。家賃、電気ガス水道、電話が滞納に成って居て、どうしようかと言う状態でした。本人は買い物も出来ます、判断能力も有ります。認知と言う訳では無いのですが、普通でも有りません。生活保護です。
本人と話し合って取り合えず金銭管理を和讃でする事にしました。理事会の承認を経て当面の支払いを立て替え、お小遣いを渡すと言う形で出費を抑えました。支援1から介護1に成ってヘルパーさんが入る様になって、寂しいから土、日、近くのうどん屋さんや喫茶店に行っていたのも行かなくなり、月3回ショートで施設に入る様に成って、漸く落ち着いたと思った頃、予てから患っていた前立腺の以上により入退院を繰り返す様に成りました。
やがて、バルーンの装着、自宅での生活は困難に成りました(本人が抜いてしまいます)生活保護でも受け入れるよと、言ってくれる特養は有りましたが、バルーン装着では無理でした。受け入れてくれたのは病院でしたが、テレビも見れない環境では可哀そうです。必死に成って有料老人ホームで生活保護でも受け入れてくれるところを見つけました。
そこは病院が経営して居る有料老人ホームですが主に重病人を受け入れると言う施設でした。Sさんは前立腺癌を患っています。その事だけでなんとか入居が出来そうに成ったのは今年に成ってからでした。
諸般の事情により2月の後半には入れるかな、そこまで来ていましたが、残念です。
島根の中学を出て、ずっと市場で働いたそうです。職人の世界で、海の男の世界で、今では想像も出来ない程の苦難は有ったのでしょう。厳しい、怖い顔をしていましたが、私たち年下の人間にも常に敬語で話す方でした。
無駄遣いはダメだよと言ってもたまに市場に出かけ、魚を見るのが楽しみと言っておられました。
今頃は天国で魚をさばいているのでしょうか、大好きなうどんとちくわの天ぷらも、もう遠慮する事は有りません。センチに成って居るのは施設に送る事が出来なかったからかもしれません。
合掌