1回忌法要
2020/06/14
終活支援の終了
一回忌法要
朝から雨が降ったりやんだりで、梅雨入りした神戸の街です。西区に有る大師寺(高野山真言宗)さんに行ってきました。
Sさん、今日で一年が経ちます。出会いは未だ私たちが、お葬儀支援の事しか考えてなかった頃、「私のお葬儀をしてほしい」とご相談を受けたのはもう六年も前の事に成ります。女手ひとつで息子さんを育てて、その最愛の息子さんを事故で亡くされ、もともと弱い体に、お酒が欠かせない暮らしに成って出会った時には末期に近い状態で肝臓を壊されていました。それでも人口股関節の手術を受けることに成り、身元保証、後見契約について、Sさんが元で和讃の会は始めることに成りました。最初は手探りでしたが今では講演会をするように成ったのもSさんが御縁を結んでくれたと思っています。何度も入院、通院を繰り返しましたが、私たちの前では愚痴をこぼす事は有りませんでした。
大師寺さんとは、震災ボランティアをしていたころの知り合いとの縁が有ってそのボランティアさんが、Sさんの介護をしていて二人とも大師寺さんの檀家さんと後に成って分かった縁でお付き合いを頂いています。
今日の法要も、亡きSさんとの約束でお寺さんも連絡は取って無かったのですが、私が突然お花を持って行った時、ちょうど法要が始まるところでした。時節柄お参りは私一人でしたが、一時間に及ぶお勤めはきっと極楽浄土(真言さんはこんな言い方はしないと思いますが私が一応浄土真宗の僧侶なもんで)のSさんにも届いたと思います。
お勤めが終わって住職と暫くお話をさせて頂きました。これで一応、和讃の会としてのSさんの終活支援は終わります。それでもSさんがご縁で出来た繋がりはこれからも続きます。
お通夜の意味、お葬儀の意味、簡略され御座なりになって居ますが大切なのはじつはそっちで、費用とか時間を優先するのは少し違う気もします。時代に合わすのも大切ですが、時代に流されないのも大切かと思いました。