お葬儀譚

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お葬儀譚 その1

2022/01/14

家族葬と言うなら形式にとらわれなくても

直葬はお葬儀とは違うでしょう

コロナ騒動は、いつになったら落ち着くのでしょうか。感染力が強いという事は、無症状で感染して、その人たちが街に出る事で一気に感染者が増えているのでは無いかと素人ながら考えます。コロナを恐れるあまり町の経済活動は一気にまた緊急事態の時に戻った様な気がします。正しく恐れる事は大事です、でもちょっと恐れすぎな気がするのは私だけでしようか。感染者の数より重症者がどうなのか、もうボチボチ シフトしてもよい気がします、あくまで素人の個人の感想ですが。

さて、引き続き個人の感想です。お葬儀について考えてみました。あくまでも資料に頼らず個人の記憶が元で語ります、歴史的背景等に誤りがあるかもしれない事は最初にお断りしておきます。

私(63歳男性)が子供の頃はお葬儀とは特別な意味が有りました。ある日いつもの通る所の家に玄関に忌と書いた紙が貼って有りました。それから直ぐに黒白の幕が玄関に張られ、結界を結んだような独特の空気に変わります。だれそれが亡くなったという事はすぐにご近所の話題に成り、我が家でも親父が式に行くのか祖母も行くのかと話題に上がります。葬儀式は当然自宅で執り行われ、ご近所の方が大勢無償でお手伝いをします。何か賑わいが有って言葉は悪いかもですが、騒いではいけない、笑ってはいけないそれでもお祭りのような雰囲気を感じたものです。

ここからは文献で得た知識も混ざりますが、昭和40年前半、日本は高度成長に入ります。みんなが忙しくなる中で、お葬儀は負担の大きな行事に成ります。今までは村の、町内会の役員か何かが仕切って執り行われた居た葬儀、みんなが忙しくなります。そのころから本格的に葬儀屋が出てきます。

それまで段取りなんかをしていた花屋さん、桶屋さん(桶屋は棺を作ります、今のような寝棺では無く昔は土葬する為に座棺、大きな桶が棺でした)なんかがお葬儀屋さんを始めます。そのころの名残はお葬儀屋さんの社名に今も残っています。日本が景気が良くなってその時流に乗ったのでしょう、お葬儀屋さんは仕事として一気に忙しくなります。今までお寺さんや、町の集会所、もしくは自宅で行っていたお葬儀は、場所探しや段取りの大変さからいつしか葬儀屋さんは自分で会館を持ち出します。昭和50年くらいには互助会も出来ます。皆さんから集めた積立金で全国に会館は建ちました。そしてお葬儀の値段が急に高くなったのもそのころからだと思います、各地方に依って各葬儀屋さんによってそれぞれのローカルルールが出来ました。枕飾り、献灯の儀、納棺の儀、色々な儀式を取り込むことに依って葬儀に意味付けをしていきます。そしてそれは葬儀屋さんでしか出来なくなってしまいました。葬儀会館に有る祭壇、表しているのは極楽浄土です。須弥壇は須弥山を表します。かの三蔵法師が孫悟空や猪八戒を連れてインド目指して超えた山です。(日本ではこの話が有名ですが本来は道教の神とされています)

西遊記に表されるその先に有るのがお釈迦様がいらっしゃる極楽浄土に成ります、同じものは昔は各家庭に有りました、お仏壇がそうです。それが無いとお葬儀に成らない雰囲気は有りました。いまでこそ洋風祭壇やクリスタルで出来た祭壇が有ったりしますが昔はそこに重要な意味を持たせていたと思います。葬儀は葬儀屋さんでしか出来ない。だれも立ち入れない神聖なもの、そんな感じで葬儀はどんどん高額に成りました。

併せてお寺さんも偉くなります。昔はお寺で檀家さんのお葬儀は有りました、しかし場合によっては檀家ではない人のお葬儀が有ったりします。段取りでお葬儀屋さんが頼むことが有ります。無理を聞いてもらう関係、どうしてもお葬儀屋さんはお寺さんに弱くなります。

その名残は今でも有って、葬儀会館にお寺さんが着くと女性スタッフか担当者が甲斐甲斐しく鞄を持ちに走ります。そうすることに依ってお寺さんの権威も上がりますし、ご当家は何か有難く感じます。

日本はバブルが始まり、景気は良くなります、併せて神聖で、権威の有るお寺様を呼ぶ。必然的にお葬儀は高額に成ります。

しかし、それはいつまでも続きません、そう、バブル経済がはじけます。

 

 

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