終活 墓終いについて

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終活 墓終いについて

2022/05/30

意外と忘れられている

お墓の意味

先日知り合いの墓石屋さんに頼まれてお墓終いに立ち会ってきました。神戸市営の鵯越墓園です。前にも書きましたが、広大な敷地に一昔前までは、抽選でもなかなか当たらない状況で、次男坊である私は真剣に悩んだものです。それが今ではあちらこちらに空き地が有ります。ここ5年程前から、お墓を作る人より、お墓を終う方が圧倒的に多く成って居ます。又何年もお参りが無いであろうと推測されるお墓も多数あります。

地域性も有るかと思います、泉州地方にお墓の建て替えで墓終いに訪れた場所は村墓地(昔から地域に有るお墓)でしたが、盆でも彼岸でも無いのに多くのお墓にお花が有りました。山の頂上付近に有り日当たりも良く、故人様を偲ぶには良い場所だと思いました。決して鵯越が悪いと言うのでは有りませんが、少なくとも広大な敷地に空き地は有りませんでした。

お墓の意味を考えてみますと、あくまで個人の感想ですが、歴史的にどうのと言うのは諸説在りますが、少なくとも我々庶民にとっては江戸後期からだと考えます。それまでの鳥葬、風葬の習慣から、日本人は死んだら終わりと言う感覚が強かったのでは無いかと想像します。個人を偲んで石積みをしたり、それが地蔵(化野念仏寺が有名)に成ったりしたのはもっと後で今のお墓の形に成ったのはそれ以降と思います。

昔は亡くなると今の棺(寝棺)では無く桶の形の座棺でした、それを墓地に運び埋めます。埋めた後は小山の様に土を盛り、墓標を立てます、時間が経てば朽ちて小山は平地に戻ります。今の様に石積の立派な形に成ったのはそれこそ土葬から火葬に変わってからだと思います。

墓参り、地方から出てきている方にすれば帰って墓に参ると言う事は先祖への挨拶だけでは無く、親戚への挨拶の意味も有った様に思います。

時代は変わりました、子供たちは街に出て、そこで暮らし、田舎に帰ると言う事は難しい時代に成りました、逆に故郷に居るより、高齢者は街の施設で暮らすのがベストでは無いでしょうが、ベターな時代です。

お葬儀も変わりました、昨今は直葬(火葬式とかお別れ葬)が主体に成って来ました。親子関係でも、お寺さんを呼ばずお骨にするだけです。中にはお骨は要らないと言う方も居ます。火葬の段階で依頼をしておけば骨は無く成ります(粉末に成り骨上げは出来ない)神戸の場合、やすらぎの丘に合祀、埋葬処分に成ります。

 

お墓は年々建てる方は減って居ます。納骨堂や、合祀墓に納める方が増えて来ています。皆さん永代供養に拘りますが、永代供養と言う言葉も今一度考えてみる必要が有ると思います。お墓に居れれば供養に成ると言うものでも有りません、ただ単にお骨を処分したと言うだけです。

今お墓が有る方は、長年お墓に行ってないと言う方は一度お墓に参ってみては如何でしょうか。10年後、20年後誰が世話をするのか。世話を出来ないならどうすれば良いのか、ご先祖様に聞いてみるのもひとつの方法かと思います。

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