お葬儀譚 その2
2022/01/16
家族葬は形式にとらわれないで
直葬はお葬儀と違うでしょう
ちょっと長くなったので2回に分けさせていただきます。
前回に書きましたが、昭和63年平成元年、そのころの日本は所謂バブルと言われます。みんなが投資家でみんなが浪費家で、24時間戦えますか?の時代でした。不動産投機も盛んでした、私の経験例ですが、当時加古川の方で2250万の新築マンションを買いました。建築前に契約しましたが、基礎工事が始まって足場が組まれて表示登記が終わると同時に毎日の様に不動産屋さんから電話が入ります。「マンションを売りませんか?」とか「あなたのマンション4500万円で買います」とか、まだ住んでも無いし、建っても居ないのにです。お盆、正月、ゴールデンウイークには皆が海外に旅立ち、国内旅行はダサい(死後ですかね)と言われました。車もシーマ現象と言われた大型車や、今のレクサスLSの走りに成りますセルシオなんかがガンガン走ってました。
お葬儀も200~300万は当たり前の時代で、満中陰の返礼も香典の即日返し、なんかが始まったのもそのころでは無かったかなと記憶します。
霊柩車もランクが有って最高級とされていた宮型霊柩も、昭和天皇崩御の折、洋霊柩を使われた事で誰も宮型を使わなくなりました。その代わり今まで国産の高級車だった洋霊柩車がリンカーンとか、ベンツとか、特殊改造して後ろが長い外車が主流に成ったのもそのころだったと思います。葬儀会館にも宿泊機能が付き、お風呂やベットが備わったりしました。
しかし、そんな時代も終わります、バブルが弾け、神戸では震災が有り、リーマンショックが訪れ、世界規模の不況に成ります。大がかりだった葬儀も小さくなります。そのころに出てきた言葉が家族葬です。
言い出したのは葬儀屋さんです。小さな規模でも恥ずかしくない(今でこそ有りませんが、当時はちゃんと葬儀をしない事にはちょっとした罪悪感が有りました)家族と限定するわけですから一般の方に声をかけなくても良い。そんな流れで今も葬儀は,家族葬が主体です。価格は下がってもパイの取り合いですから葬儀屋さんはすべてと言ってもよい位、家族葬を打ち出します。葬儀業界の斜陽化の始まりです。
決定的に葬儀屋さんを弱らせたのは、ネット社会でした。今から15年くらい前大手スーパーが葬儀業界に参入します。今まで時価だった葬儀代を,お布施を、料金化してしまったのです。業界に激震が走りました、しかしもっと大変なのはネットブローカーの台頭です。ブローカーです、受けた仕事を業者に流します。そもそも低価格で集客をし、そこから何割かを手数料として仕事を流します。受けるのは街の葬儀屋さんです、当時葬儀屋に居た私はこんなことをして居たら葬儀屋はつぶれると思いました。
その事は業界全体で感じていたらしく、大手互助会がこのブローカーの買収に入りました。もともと葬儀に素人のブローカーはあっさり買収に応じ、これで一段落と思いましたが、その互助会が知識を元に、ネットブローカーを作り直しました。その時点でネットの集客の凄さに、それまでテレビや、チラシ、見学会で集客していた葬儀屋さんにしてみればこれしかない、みたいな感じだったと思います。そこに大手ネット会社が参入し、今やネットブローカーは大手3社に成りました。
葬儀全体の受注の5割に近い数字はネット集客に成っていると思います(個人の感想です)以前にお世話に成ったリピーターも、互助会でお葬儀をした人も経験値から高額な費用が掛かると思う時、とりあえず携帯で検索して出てくるお葬儀は今までに比べて破格の安さを提示して、追加料金無しと言われればとりあえず電話しようかと思うのは自然かと思います。
しかし、実態は仕事を受注するのはブローカーでも施工するのは街の集客の出来ない葬儀屋さんです。低価格、高手数料ではやっていくのは大変です。一時のことを思えば落ち着きましたが、4,5年前に業界はクレームが多くなり大手ブローカーは今も問題は抱えています。
もともと近所の方のお助けで行われていたお葬儀、そこに景気の波に乗り 生まれたお葬儀屋さん。安易にお金が儲かり、喪主の事は考えずにお金儲けに走ったのが葬儀屋さんです。何の企業努力もせず、お客の為に変わって来なかったのが、お客様のためを考えて来なかったから、顧客は先ず、過去にお世話に成った葬儀屋さんに電話をすること無く、ネットで検索して価格表示のはっきりしているブローカーに電話をするのです。
結果葬儀業界は、衰退していきます。業界から人が離れ、高齢化が進み、そのことに依りお葬儀自体の質も下がります。下げられても、抗う力は業界には有りません、次に出てきたのが直葬。
昔で言う密葬と意味合いは似ては居ますが、葬儀式をせず、お別れもせず、火葬するだけのお葬儀です。もうお葬儀とは呼べないと思いますが、今多くなって来ています。遠く離れた、親戚、叔父、叔母、介護施設に入って長い、若しくは入院が長かった場合、実の両親でも愛着が薄くなるのは仕方が無いかも知れません。
こうして日本のお葬式は、直葬、お別れできる直葬、一日葬、普通のお葬儀と別れました。これを嘆く人も居ますが、それが今の日本人の死生観だと思います。
唯、こうして考えてみた時、お葬儀(今のお葬儀の形)はそんなに昔から執り行われていたわけでは無く、その都度形を変えて来ています。そう考えればお葬儀、これからは自分の形で行うのはいかがでしょうか。
家族葬です、直葬でお寺は呼ばない、でも家に連れて帰って一日二日ゆっくり寝かしてあげたいとか、お花だけ棺に入れたいとか、お骨にして家でお寺さんを呼んでお勤めだけ頂くとか、故人を感謝の気持ちで送りたいと思うので有れば方法はいくらでもあるのではないかと。そんな思いに応えられるのがお葬儀屋さんではないかと。
今回は長くなりましたが、あくまで個人の感想です。お葬儀は昔から有ります、でも今のお葬儀の形、やり方はそんなに昔からでは有りません。それが証拠に今有るお葬儀屋さんで、歴史が100年と言うところは無いと思います(有ったらごめんなさい)お葬儀はこれからも変わって行くのでしょう、お葬儀をする人の考えも変わって行くのでしょう、それでも人が亡くなると言う事はは変わりません。
超斜陽産業のお葬儀業界、実は未来は明るいのかも知れません。